なぜ知っている英単語なのに聞こえないのか?日本語の音韻フィルターと意図的清聴

英語の強勢波が日本語の均等なモーラ拍へ分割される音韻フィルターのイメージ

単語帳で何度も見た。

意味も知っている。自分で読めば発音もできる。

ところが、ネイティブが会話のなかでその単語を使った瞬間、まったく聞こえない。

後から字幕を見て、驚く。

「え、これやったん?」

英語学習者なら、一度どころか何百回も経験する現象である。

多くの人は、耳から音が抜け落ちたのだと思う。

しかし、本当に音は消えていたのだろうか。

知っている英単語が聞こえないのは、音が存在しないからではない。

脳が予測している音の単位と、実際に流れてきた音の構造が違うからである。

前回は、日本語OSと英語OSの構造差を、膠着語・語順・Meの自動処理から考えた

今回は、構造から音へ進む。

日本語のモーラ、子音+母音、英語の子音連続、強勢、弱化、連結。そして、母国語の音韻フィルターを大人になってから更新する「意図的清聴」を見ていこう。

20年以上、大人の英語学習を支援してきた「しゅみすけ」ことShunpeter Zです。知っている単語が聞こえない現象を、日本語の音韻フィルターと予測処理から整理し、意図的清聴で何を観察すべきかを解説します。

Shunpeter Z

耳は録音機ではない

私たちは、外から届いた音をそのまま脳内へ録音しているわけではない。

音声は連続した空気振動である。そこに「ここからが単語」「ここで音節が終わる」という境界線が物理的に引かれているわけではない。

聞き手の脳は、母国語で蓄積したパターンを使いながら、連続音を切り分ける。

  • この音の次には何が来やすいか
  • どこで単語が終わりそうか
  • どの音の組み合わせが母国語に存在するか
  • どこが重要で、どこが弱くなりやすいか
  • 文脈上、何を言おうとしているか

つまりリスニングは、受動的な音の受信ではない。

過去の経験から作られた予測モデルによる、リアルタイムの音声レンダリングである。

日本語の基本単位は「シラブル」よりモーラで考える

ここで、日本語の音の単位を正確に整理したい。

日本語は「一音節を二つのビートで発音する」というより、モーラと呼ばれる拍を重要な単位として処理する言語である。

通常の仮名一文字が、おおむね一モーラに対応する。

  • 「か」=1モーラ
  • 「さくら」=3モーラ
  • 「きって」=「き・っ・て」の3モーラ
  • 「ほん」=「ほ・ん」の2モーラ
  • 「おばあさん」=「お・ば・あ・さ・ん」の5モーラ

促音の「っ」、撥音の「ん」、長音の後半も、それぞれ一拍として数えられる。

日本語の多くの基本単位は、母音単独のV、または子音+母音のCVでできている。国立国語研究所の資料でも、日本語はモーラを数える言語として説明されている。

このため日本語話者の口は、子音を出したら母音へ着地し、次のモーラへ進む動きを何万時間も反復している。

日本語の口には、小さなアクセルとブレーキが入っている

これを身体感覚で表すなら、日本語は細かなアクセルとブレーキを何度も踏む言語である。

「ス・ト・ラ・イ・ク」

一つひとつのモーラで口の形を作り、母音へ着地し、次の単位へ切り替える。

もちろん実際の日本語音声は、ロボットのように完全な等間隔ではない。話速、アクセント、母音の無声化などによって大きく変化する。「モーラ拍」「強勢拍」という分類も絶対的な箱ではなく、言語のリズムは連続体として捉えるほうが現実に近い。

それでも、日本語話者が音を細かな拍へ分け、各単位に母音の着地点を予測しやすいことは、英語学習を考えるうえで重要である。

このアクセル/ブレーキは、意識して身につけた技術ではない。

日本語を話せるようになった時点で、身体と知覚へOSとしてインストールされている。

英語は、子音から次の子音へ流れる

英語では、子音が連続できる。

strike なら、語頭で複数の子音がまとまって動く。日本語の「ス・ト・ラ・イ・ク」のように、すべての子音へ母音を付けて一拍ずつ着地するわけではない。

next spring のような表現では、単語の境界をまたいで子音が重なる。

さらに英語は、すべての音節を同じ強さで発音しない。

  • 内容を担う語や強勢のある音節は、長く、強く、明瞭になる
  • 機能語や強勢のない音節は、短く、弱く、曖昧になる
  • 母音が弱母音へ変わる
  • 音同士が連結する
  • 環境によって音が脱落・同化する

日本語が細かな粒を順番に置く感覚なら、英語は強い山から次の山へ、一つの大きな波を作る感覚に近い。

弱い部分は、消えたのではない。

強い山をつなぐ谷として圧縮されている。

スペイン語・イタリア語も母音が多い。しかし日本語とは違う

スペイン語やイタリア語も、英語より母音が明瞭に現れやすく、しばしば音節拍に近い言語として説明される。

そのため、日本人には英語より音の輪郭を捉えやすく感じられることがある。

しかし、日本語と同じではない。

日本語は、促音、撥音、長音を含むモーラが語の長さやリズムへ重要な役割を持つ。一方、スペイン語やイタリア語では、音節内部の構造や子音の連なり方、強勢の働きが異なる。

「母音が多い」という一つの特徴だけで、同じ音OSにはならない。

ここでも重要なのは、どの言語が簡単かではなく、母国語で育った予測モデルとの距離である。

日本語の音韻フィルターは、存在しない母音まで聞かせる

母国語のフィルターは、単なる比喩ではない。

日本語の音韻規則に合わない子音連続を聞いたとき、日本語話者が子音の間へ実際には存在しない母音を知覚する現象が実験で報告されている。

たとえば、母音を含まない子音連続と、間に「ウ」に近い母音を含む音列の区別が難しくなり、子音の間に錯覚的な母音を知覚することがある。

これは、耳が壊れているからではない。

脳が、母国語では成立しにくい音列を、知っている形式へ修復しているのである。

「strike」が「ストライク」になるのは、発音するときだけの問題ではない。

聞く段階ですでに、子音連続をCV単位へ再レンダリングしようとする可能性がある。

私たちは、聞こえた音をカタカナにしているのではない。

カタカナ化できる音を待ち受け、その形式で聞いている。

知っている単語なのに聞こえない四つの理由

1.辞書で覚えた完全形を待っている

単語帳では、一語だけを明瞭に発音した音を覚える。

しかし会話では、前後の語とつながり、強勢を失い、音の形が変わる。

脳内の検索キーが「孤立した完全形」だけなら、変形した音を同じ単語として認識できない。

2.すべての音へ母音の着地点を探す

日本語OSは、子音の後ろに母音が来ると予測しやすい。

英語の子音連続や語末子音を聞くと、存在しない母音を補ったり、逆に短い子音を一つの音として保持できなかったりする。

3.弱い部分も同じ明瞭さで来ると思っている

cantoofand などは、文中で弱く発音されることが多い。

教科書どおりの母音を待っていると、弱母音へ変わった瞬間に別の音として処理される。

4.音だけでなく、次の意味を予測できていない

リスニングは聴力テストではない。

I was wondering… と来れば、その後に依頼や質問が続く可能性が高い。Do you want me to… なら、相手が何かを申し出ようとしている。

骨格とコア単語から次を予測できれば、弱い音や曖昧な音を文脈で補える。

音の問題は、音だけを練習すれば終わるわけではない。

「put it off」は、なぜプット・イット・オフに聞こえないのか

put it off を、単語帳の音で並べる。

プット/イット/オフ。

日本語OSは、三つの単語を三つの独立した箱として待つ。

しかし実際の会話では、語末と語頭がつながり、同じ・近い調音位置の音が圧縮され、弱い母音も短くなる。

結果として、日本語話者には「プリロフ」「プディロフ」のような、一続きの音に感じられることがある。

重要なのは、そのカタカナ表記を新しい正解として暗記することではない。

話者、速度、文脈によって実現する音は変わる。

気づくべきなのは、自分が三つの完全形を待っていたという予測のほうである。

聞き流しでは、フィルターがそのまま再生される

「英語は大量に聞けば、いつか自然に聞こえるようになる」

入力の量は必要である。

しかし、大人の日本語OSが毎回同じ単位で音を切り、同じ母音を補い、同じ完全形を待っているなら、量を増やすだけではズレに気づきにくい。

分からない音を分からないまま千回聞く。

そのとき反復されているのは、英語の音声モデルとは限らない。

「聞こえない」という日本語OSの処理を千回再実行している可能性もある。

反復すれば英語が自動化されるのではない。反復した聞き方が自動化される。

意図的清聴とは何か

そこで行うのが、しゅみすけ式の「意図的清聴」である。

意図的清聴は、必死に聞き取る方法ではない。聞こえない箇所を根性で埋める方法でもない。

一言でいえば、こうなる。

黙って音を聞く。黙って字幕を見る。もう一度、黙って音を聞く。

この段階では、口を動かさない。

発音の再現へ注意を分散させず、「自分が予測した音」と「実際に存在した音」の比較へ、注意を集中させる。

英語音声を聞き文字と比較して再び聞くことで予測モデルが更新される三段階のイメージ
聞く、文字と比較する、もう一度聞く。口を動かす前に、予測と現実のズレを意識へ上げる。

意図的清聴の三段階

1.字幕を見ず、黙って聞く

最初に、自分の現在の予測モデルで聞く。

全部を当てる必要はない。分からなかった場所、音が消えた場所、単語の境界を失った場所を感じる。

2.音を止め、黙って字幕を見る

英文を読んで意味と骨格を確認する。

  • 知っている単語だったか
  • 主語と動詞はどれか
  • どのコア単語が中心だったか
  • 自分はどんな音を予測していたか
  • 単語の境界をどこに置いていたか

この段階でも、まだ音読しない。

3.字幕を閉じ、もう一度黙って聞く

同じ音声を再生する。

先ほどノイズだった音が、単語やかたまりとして立ち上がる瞬間がある。

「あ、ここがつながっていたのか」

「この母音は、ほとんど弱くなっていたのか」

「単語を全部言っていないのではなく、一つの波に入っていたのか」

この「あっ」が、Noticed Input——気づかれた入力である。

気づきは、音を変えるのではなく予測を変える

同じ音声を二回聞いた。

外側の音は一切変わっていない。

それでも、二回目には聞こえる。

変わったのは耳ではない。

内側の予測モデルである。

母国語の音韻フィルターが無意識に行っていた分割、補完、削除が、一瞬だけ観察可能になる。

このとき脳は、「いままでの切り方では合わない」という誤差情報を得る。

気づきだけで言語が完成するわけではない。その後の反復、発音、意味理解、会話も必要である。

しかし、何を修正するか分からないまま反復するのと、更新箇所へ注意の印を付けて反復するのとでは、学習の質が違う。

シャドーイングは、気づいた後に使う

シャドーイングは悪い学習法ではない。

ある程度聞こえている音声を保持し、処理速度を上げ、口の運動とつなぐ訓練として強力である。

ただし、聞こえていない段階で音を追いかけると、注意の大部分が「遅れずに口を動かすこと」へ使われる。

自分がどこへ母音を補ったか。どの弱音を完全形で待ったか。どの語境界を誤ったか。

そのズレに気づく余力がなくなる。

だから順番は、次のほうが合理的である。

  1. 意図的清聴でズレに気づく
  2. オーバーラッピングで文字・音・口を合わせる
  3. シャドーイングで保持と処理速度を高める
  4. 実会話で予測モデルを較正する

道具を信仰するのではなく、いま何の回路を作っているかを見る。

ZPFから見ると、聞こえない音は「観念の外側」にある

ここからは音声学の主張ではなく、ZPFとしての解釈になる。

英語音声は、最初からそこに流れていた。

しかしMeは、日本語OSで認識可能な単位だけを切り出し、それに合わない音を補正し、「聞こえない」という現実をレンダリングする。

Meには悪意がない。

過去に成功した世界モデルを使って、最も速く現実を理解しようとしているだけである。

だが、Me自身は、自分がフィルターを使っていることに気づけない。

そこでI——Observerが、音と字幕の間へ立つ。

正解を出そうとせず、ただ比較する。

  • 外側では、どんな音が起きたか
  • 内側では、どんな音を待っていたか
  • その差を作った前提は何か

気づいた瞬間、フィルターは「現実そのもの」ではなくなる。

選択可能な一つの観念OSになる。

聞こえるようになるとは、耳へ新しい音を入れることだけではない。

すでに届いていた音を消していた、自分の予測に気づくことである。

この小さな「あっ」は、古い観念コードを見つけるFornixであり、新しい知覚回路を精錬するAthanorでもある。

英語リスニングをしていたはずが、いつの間にか「人間はどうやって現実を聞いているのか」という問いへ入ってしまう。

やはり、ここまで来ると英語だけの話ではない(笑)。


次回:意図的清聴をさらに実践へ落とす。音・単語・骨格・語順のどこで止まったかを切り分け、どのように一回のリスニングを神経回路の更新へ変えるのかを見ていく。