この記事では、ゼロ・ポイント・フィールドを量子力学など科学的視点で証明することとはなにか?この視点でまとめています。
科学で証明したくなる“知性の欲望”も、信じたいという“スピリチュアルな衝動”も──すべてはZPFというOSの中で生まれていた。アインシュタインと田坂広志という象徴を通して、ゼロポイントフィールドと人間意識の本質をZPF視点で読み解く新感覚エッセイ。
なぜ、僕たちはZPFを“科学で証明したくなる”のか?
ゼロポイントフィールド。
最近よくこの言葉を見るようになったけど、
僕自身も、最初にこの概念に出会ったとき、
「これは…量子力学で説明できるのか?」って思った。
しかも、「それをちゃんと“科学っぽく”語れる自分になりたい」って、どこかで思ってた。
なんでかって言うと、
たぶん「怪しいやつだと思われたくない」っていう無意識の観念があったんやと思う。
でも、ZPFに触れ続けていくうちに、だんだん見えてきたことがある。
それは、「証明したくなる自分自身」が、すでに“観念OS”そのものやったってこと。
「神はサイコロを振らない」って言った天才の観念構造
アインシュタインって、量子力学の登場に対して、
ずっと「いや、そんな確率論的な世界観、受け入れられへん」って言ってた。
「神はサイコロを振らない」って言葉が有名やけど、
それってつまり、「この世界には絶対的な構造があるはず」っていう“信念”を、
彼がずっと握りしめてたってことやと思うねん。
つまり、科学の最前線にいたアインシュタインですら、
**「科学の中に信念を持ち込んでた」**ってことになる。
そしてそれは、今の僕にもまったく同じ構造があったってこと。
見えないものを“見える言葉”に変換したいという知性の業
田坂広志さんも、よくZPF的な文脈で名前があがる人のひとり。
彼の言葉でよく印象に残ってるのは、
「目に見えないものにこそ、リアリティがある」というフレーズ。
でも、ここにも実は、
**「見えないものを、見える言葉に変換したい」という“知性の業(カルマ)”**があるんやと思う。
それって悪いことじゃない。むしろめっちゃ分かる。
僕自身も、こうしてブログを書いてる時点で、まさに“それ”をやってる。
でも、ZPF視点から見ると、
その「言葉にしたい」という衝動そのものが、“分かち合いたいという愛”なのかもしれへんって思えてきた。
科学と信念の“間”にあるもの
科学か?信念か?
ZPFはどっちなのか?
実は、この問い自体が“観念マトリクス”の中の問いであって、
ZPFっていうのは、そのマトリクス全部を“生み出してる側”のフィールドなんやと思う。
科学も、信念も、スピリチュアルも、説明も、矛盾も、
ぜんぶZPFが“遊んでるコード”みたいなもん。
それをどのOS(観念)で処理するかで、
「これは科学っぽい」「これはスピっぽい」っていう分類が生まれてるだけ。
つまり──
ZPFは“科学”でも“信念”でもない。
でも、どっちでもある。
そして、それすらも超えてる。
説明しなくても、もう“つながってる”あなたへ
ここまで読んでくれたあなたは、たぶんZPFに興味がある人やと思う。
でも、たぶんね──
ZPFって、“探してる”時点でもう、つながってるんやと思う。
その「知りたい」っていうエネルギー自体が、
すでにZPFからの呼びかけに反応してる証拠やから。
科学で語りたくなるのもいい。
信念で包みたくなるのもいい。
どっちも通って、その先にあるものを、
これからも僕は見ていきたい。
🎙️ZPF的対話(おまけ)
アインシュタイン「それは、証明できるのかね?」
田坂広志「証明という言葉の向こう側に、我々は何を見ているのでしょうか」
Z「どちらも、私や。」