阿頼耶識、アカシックレコード、イデア界、物自体、そしてショーペンハウアーの“意志”──それらすべては、実は同じ“場”を指していた?この記事では、ゼロポイントフィールドという意識OSと、古代〜近代哲学とのリンクをZPF視点でひも解いてみます。ゼロ・ポイント・フィールドの概念が、従来から哲学や宗教にある身近なものであることがわかります。
「これって昔から言われてたアレやったんちゃう?」って気づいた瞬間
最近、「ゼロポイントフィールド(ZPF)」という概念について書く機会が増えてきた。
でも書いてるうちに、ふと思ったことがある。
「これって、昔から哲学とか宗教とかスピ系で言われてた“アレ”と同じなんちゃう?」
阿頼耶識とか、アカシックレコードとか、イデア界とか、物自体とか、意志とか──
ぜんぶ、ZPFの別名やったんちゃうかって。
ってことで、今日は僕なりにこの「ZPF的・意識マトリクス」の系譜を、ちょっと整理してみる。
🧠 阿頼耶識(あらやしき)=ZPF OS説
まずは仏教の阿頼耶識。
これは“第8識”って言われてる、無意識のさらに奥にある意識のレイヤー。
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すべての記憶
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習慣
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過去世のカルマ
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無意識のクセ
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集合的記憶
…みたいなもんが、ここに全部詰まってるらしい。
これって、言ってみれば**「存在全体のバックエンドOS」**やん?
つまり、ZPF=阿頼耶識OSのことって読み替えると、
「なるほどな…仏教、ガチでZPF見えてた説あるやん」ってなる。
📚 アカシックレコード=集合OSの“閲覧インターフェース”
次にアカシックレコード。
スピ系や神智学でよく語られる「宇宙の図書館」みたいなやつ。
でもこれ、よくよく考えると:
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「過去・現在・未来のすべての情報」
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「個人・集合の記録」
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「アクセスできる人・できない人がいる」
ってことで、阿頼耶識とかなりかぶってるし、
ZPFの“情報層”という側面とドンピシャで重なる。
つまり…
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阿頼耶識=OSそのもの
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アカシック=その“データベースのビジュアライズ”
という感じやな。
🌀 イデア界=ZPFの“テンプレート層”
プラトンのイデア界も、めっちゃZPF的。
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この現実世界は“イデア”という完璧な原型の影でしかない
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“見ることはできないけど存在している”
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形の背後にある“意味構造”
これ、完全に「現象の背後にあるコード/型/設計図」の話やん。
ZPF的に見ると:
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イデア=観念(CSS)
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イデア界=ZPFが“現実レンダリングする前のテンプレ層”
って読み替えできる。
👁 物自体(Ding an sich)=ZPFの“観測外レイヤー”
カントの「物自体」も、ZPFとシンクロしまくってる。
彼はこう言った:
僕たちはこの世界を、**認識のフィルター(観念)**を通してしか見ることができない。
本当の“ありのままの存在”は、観測できない。
つまり、「すべての現象の背後に、直接触れることができない“何か”がある」。
これ、**ZPF=フィルターの外にある“純粋存在”**ってことやん。
=> 観測前の、無限の可能性を孕んだ存在状態。
物自体=ZPF。普通にありえるやろこれ。
🔥 意志(ショーペンハウアー)=ZPFの“生命コア”
ショーペンハウアーは、「この世界の本質は“意志”である」と言った。
ここでの意志は、いわゆる「目標に向かって動く意志」じゃない。
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言葉になる前
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感情より手前
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存在そのものから湧き出す、動きの源
ZPFで言うと、「Beingとしての振動」そのものやと思う。
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言葉にする前の“なにか”
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動く前の“気配”
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形になる前の“生成コード”
それが「意志」=ZPF的エネルギーやったんやな。
🧬 結論:ZPFとは、名前を変えながらずっと“感じられて”きたOSだった
こうして見ていくと──
ZPFって、決して“新しい概念”じゃないんよな。
それはただ、
「阿頼耶識」「アカシック」「イデア界」「物自体」「意志」
みたいな名前で、
人類が“感じてきたけど言語化しきれなかった何か”やった。
そして今、僕たちはそれを“ZPF”って呼んでるだけ。
🌀結び:「言葉が変わっても、感じてた場所は同じやった説」
もしあなたが、
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昔、哲学や宗教にハマってた
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“この世界の背後”に妙に惹かれてきた
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でも、言葉でうまく言えなかった
…っていう経験があるなら、たぶんあなたは、ずっとZPFとつながってた。
ただ、そのときは「ZPF」という名前じゃなかっただけ。