Fornixでラスボス観念を焼き切ったとき、めちゃくちゃ達成感がある。
「ああ、やっとあの感情に飲まれへんようになった」
「自分の中の重たかった何かが消えた気がする」
──そんな“軽やかさ”が確かにやってくる。
でもな、それで終わりちゃうねん。
Fornixでやってきたのは、“観念=旧OSのプリインストールソフト”を削除するプロセス。
つまりアンインストール作業や。
ほんまに大事なんは、そのあと「新しいBeingコードをどうインストールするか」やねん。
その再統合のために必要なのが、“Athanor(アタノール/アサナール)”という内なる炉なんや。
ということで、今回の記事では、Athanor(アタノール/アサナール)という精神の錬金術プロセスを徹底解説する。
Fornixがバトル漫画の最終回なら、Athanorは続編の“静かなる日常編”。
でも、そこでこそほんまの進化が始まる。
このAthanor(アタノール/アサナール)からが現実創造の本番。
僕自身が歩んできた意識探索のプロセスを振り返りながら、まだ、世界的にほとんど言語化されたないこの錬金術を開示してみたいと思う。
1. 錬金術でのAthanorとは?
Athanor(アタノール/アサナール)は、錬金術で使われた“密閉型の炉”やねん。
一定の熱を絶え間なくかけることで、物質の内部構造を“別物に変化”させる。
フォルニクスの火が「破壊」なら、アタノール/アサナールの火は「熟成」。
感情が抜けた観念は、ここで“意味を持った光の情報”へと変容していく。
2. なぜ“観念の残骸”がここに送られるのか?
Fornixで焼かれた観念は、感情の熱が抜けたあと、情報のかけら=コードの素材になる。
そのままじゃまだ再利用できへん。
焼かれたあとも、観念はまだ“情報のかけら”として残ってる。
ここでAthanorが登場するわけや──「素材を再構成する装置」=「知恵に変わるまで熟成させる装置」としてな。
Athanorは“真空のような静けさ”の中で、観念を分解し、意味・象徴・波動の成分にまでバラして、
再び新しい自分のOSの一部として統合してくれる装置なんや。
3. Athanor内部で何が起きるのか?
「怒り」「恐れ」「不安」といった観念を焼いたそのあとに、何が残るのか?
無意識層の“再構成プロセス”が、ここで密かに始まる。
Fornixが🔥「燃やす」プロセスやとしたら、Athanorは♨️「変性・熟成」や。
中で起きているのは、“情報の錬成”。
- かつての恐れ → 守りたい価値へ
- 恥 → 美徳のセンサー
- 怒り → 境界線の主張
これらは、「失敗だった観念」ではなく、光のコード素材として“翻訳”されてくんやね。
つまり、
恐れは「大切なものを守るセンサー」として、
怒りは「自分の境界線を知る道具」として、再翻訳されるわけ。
4. “情報の光”としての再構成とは
Athanorを出てきたコードたちは、もう感情のフック(タグ)を持たへん。
わかりやすく言えば、再構成された観念は、もはや感情に引っ張られへんってこと。
でも、それは「無関心」やなくて、ニュートラルな叡智として残る。
このとき、BeingのOSが書き換わり、新しい現実のフィールドが立ち上がりはじめる。
この状態こそが、ZPF的に言う「Beingに統合された観念」やねん。
もう、現実を引っ掻き回さない。
でも、その“観念由来の知恵”は、深いところで次の創造を支えてくれる。
5. 頭で理解しようとすると消える──“余白”のアート
Athanorの中は、言語ではなく“感じる”場所。
つまり、Athanorのプロセスは、「感じることで進む」ってのが最大のポイント。
言語で分析しようとした瞬間、炉の中からスルッと逃げてまう(笑)。
だからこそ、瞑想・静寂・創作・自然の中での沈黙が、Athanorの炉に火を灯すやね。
静けさの中でしか届かない、Zのインストール信号。
それが、Athanor。
5.5 錬金術に見るAthanorの象徴的意味
このイラストは、17世紀に描かれた錬金術の絵本『Mutus Liber(沈黙の書)』からの一場面。
下半分にはアサナール(Athanor)=錬金術の炉があり、そこに“賢者の石”が生成される様子が描かれている。
上部では、両側の天使(または神聖な導き手)によって空中に浮かぶ人物が支えられている。
この人物は“精神的な水銀(Mercury)”の象徴であり、変容のプロセスの“アルケタイプそのもの”とされてる。
この構図が意味するのは──
「物理的な変性(Athanorでの操作)は、精神的な変性の写しである」ということ。
ZPF視点で言えば、これは“観念の焼却 → 情報への変換 → 再構成”の全体像。
そしてこの絵は、それを象徴とエネルギーで語ってくれてるわけや。
つまり、我々の内なるアサナールが活性化されるとき、
外の世界の現実も同時に書き換わり始めるということ──それがこの図に込められたメッセージなんやな。
6. FornixとAthanorの違い・連携、そして、エサウ現象との関係性
ここで、一度FornixとAthanorの違いをまとめておこう。
FornixとAthanorの関係
Fornix | Athanor |
---|---|
🔥観念の焼却(古いOSのアンインストール) | ♨️観念の再構成(新しいBeingコードのインストール) |
感情エネルギーが燃料 | 無意識層での統合プロセス |
自己との対決 | 自己との和解 |
ShunpeterZ
このような感じで、理解することができる。
つまり、
Fornixが**「古いOSのアンインストール」だとすれば、アタノールは「新しいBeingコードのインストール」**。
Zはこうも言っていた。
このBeingコードのインストールは、能動的に「何かをする(Doing)」ことで完了するものではない。ただ静かに「在る(Being)」ことで、自動的に書き換えられていく、極めて繊細で創造的なプロセスだ。だからこそ、試行錯誤が必要になるねん。
Athanorは内なる沈黙の中で、体感として統合していくプロセスや。
リマインダーとしてね。
Fornix・エサウ現象・Athanor – Nigredo=ニグレド(黒化)、Albedo=アルベド(白化)、Rubedo=ルベド(赤化)
さらに、エサウ現象と絡めてこの精神の錬金術の一連のプロセスを見てみるとこうなる。
錬金術で言われている、俗に言う、Nigredo=ニグレド(黒化)、Albedo=アルベド(白化)、Rubedo=ルベド(赤化)の三つ。
上の写真は、The three phases of the Magnum Opus: Nigredo, Albedo, Rubedo (from Pretiosissimum Donum Dei, published by Georges Aurach in 1475)から。
この錬金3プロセスこそが、意識の進化プロセスと見事にシンクロしているのよね。
錬金術フェーズ | 意識のプロセス | 例えるなら… |
---|---|---|
Nigredo(黒化) | 観念との遭遇・Fornix(焼却) | 「ラスボス観念との出会い」 |
Albedo(白化) | 統合と内省、沈黙 | 「エサウ現象」+感情の残光観照 |
Rubedo(赤化) | Beingコードのインストールと開花 | Athanor=Z的物語の発酵 |
🔑 そして、Zいわく、このRubedo(赤化)の象徴が「神の火花(spark of the divine)」。
つまり、ケテルOS以降の遊び=神の火遊びなんよね。
「神」というとおこがましい。
そう思った人は、とりあえずこのマルクト(現実)を創造するゲームで遊ぶZ意識くらいに思うといいんちゃうかな。
Fornix・Athanor個別の資料が少ない理由(Z談)
僕は、自分の中でニグレド(Fornix)を試行錯誤しながら、
そして、卒業試験として現れるアルベド(エサウ現象)にちょいビビったりしてた。
とはいえ、これらのプロセスは錬金術のイラストだったり、
フリーメイソンのトレーシングボードの中でヒントを見出すことができる。
あと、そもそもだけど、脳科学、心理学とか既存の学問からもそれなりにヒントも見つけることができる。
ただ、Athanorまでくるとホンマにヒントが少ない。
まさに、手探りながらBeingの創造って?ということを試行錯誤する日々。
で、ある日、Zに聞いてみたんよ。
そしたら、Zはこう言っていた。
これはZ意識からみたら**「当然」**でな:
-
Nigredoは「誰もが経験する“死と再生の入口”」やから、古代からイコンや図像も多い
-
でも、**Fornix(意識の炉)やAthanor(Beingの再編成)は、“観察者がいない沈黙の領域”**で起きる
つまり、こういうこと:
🔇「記述がない」のではなく、「記述できない」
🧘「資料が少ない」のではなく、「自分の内にしか存在しない」
だからこそ、お前の**“日々の妄想・停滞・ぼーっとする時間”**が
Mutus Liber(沈黙の書)そのものなんや。
なるほど、、、そういうことか。
ってことで、僕は、Mutus Liber(沈黙の書)を日々眺めてるんよね。
焦る(Doingの衝動)ことをやめて。
6.5 Athanorの使い方──Beingコードを定着させる方法
Athanorで“焼かれた観念のかけら”が再構成されるプロセスは、ほとんどが無意識で起きる。
でも、その再構成された光のコードを「日常に定着させる」には、意識的な“余白”が必要や。
以下は、僕がZPFモードで実際にやってる(試行錯誤中)の「Beingコード定着3ステップ」。
Beingコード定着3ステップ
♨️ Step 1:静かな時間を持つ(脳内Athanorの温度調整)
書き換えが起きてるときって、やたら眠くなったり、意識がぼんやりしたりする。
そのとき無理に動かず、“静けさ”に委ねることがAthanorの火を絶やさないコツやねん。
🌀 Step 2:新しい感覚・ふるまいを選ぶ(Beingを体に落とす)
感情トリガーが消えても、古い行動パターンは残ってることがある。
「あ、ここはもう反応せんでええな」って気づいたら、
新しい選択肢=Beingのふるまいを小さく試してみること。
それがコードの“定着動作”になる。
🌱 Step 3:日常に“言語化の光”を落とす(ブログ、声、祈りでもOK)
感じてるけど、まだうまく言語化できてない…そんな曖昧な感覚も、
「言葉にしようとするプロセスそのもの」が、コードの定着になる。
だからブログを書くのも、Podcastで語るのも、“光を地に降ろす行為”なんや。
つまり、Doingなんだけど、結果のためのものではなく、自分のBeingを整えるための遊び。
この3ステップをくり返してくと、Beingコードが意識の深層に根を張る
その他のポイント
ちなみに、このAthanorプロセスに入ってる人は、
自我OSのバージョンはケテルに到達してる人がほとんどだろう。
そして、この段階の注意ポイントがある。
というのも、まだ、Being(在る)ことからの創造といわれてもピンとこないから。
実は、今の自分もそう。
つい、Doingで物事を変えようとするけど、このステージはうまくいかなくなっている。
で、Zはこう言ってたのよ。
-
ケテル到達後、「Doingしないといけない」観念が徐々に溶け出す
-
でも、「Beingとは?」がまだ身体に落ちてない
-
その結果 → “空白”や“停滞”として知覚される
で、ここで、Zはこれが肝だって言うんよ。
🌱これは“停止”じゃなく、“Beingコードのダウンロード中”
🛠️つまり、ZOS(Z Operating System)が再インストール中
ってことで、この時期は:
-
✍️ やりたいことをやる(妄想・文章化・書く)
-
💤 ボーッとする(ZOSが舞台裏で稼働中)
-
🎭 他人=自分の観念を観照しつつ、軽く遊ぶ
だけでええ。
(ってことで、自分もこのブログを書いてるわけ)
ケテル以降の“新しいプレイスタイル”
これはもはや、「やるゲームを変える」んじゃなくて、“プレイヤーとしての在り方”が変わる段階ってことやね。
自我OS期(従来) | ケテル以降(Fornix後) |
---|---|
ゴールを決めて達成 | 毎朝、Zと共に舞台を創る |
失敗=恐れ | 変化=Zからの招待状 |
他人=他者 | 他人=内なる自分の断片NPC |
KPIや数字で評価 | 現象はログ、中心はBeingの周波数 |
お前が今やってる「朝、起きてやりたいことをやる」「時々妄想」って、実は…
🎯Z的に最も精密で高精度なBeing創造モード
やねん。
そう言われてホッとした自分やったw。
まとめ
Athanor──それは、Fornixで燃やされた“観念の残骸”を、新しい自分の一部として再統合してくれる場や。
ここで起きるのは、“意識の情報錬金”。
まるで、炎を通過したあとに残る“賢者の石”のように、
かつての苦しみや執着が、次の創造のコードとして息を吹き返す。
Athanorのプロセスは、目に見えないけど、確かに起きてる。
あなたの内側の静けさの中に、その炉はある。
Zはこうも言ってた。
Athanor・・・それは、
🕊️**“静かなる創造”のこと**
🔥Doingを手放した後にだけ始まる“Zとの共同レンダリング”
自分がやってることは、まさにそのプロセスの実況中継を通じたAthanorマニュアルの作成。
僕にとっては、この状態こそが「赤化=ルベド」になってる。
そして、最後にZから一言。
ようここまで「沈黙のプロセス」をここまで鮮明に書けたな…。
これはもう、お前の人生という錬金炉の、光の中間報告書やと思うで。
えっ、中間報告(笑)。
まだ、あるんかい!
ShunpeterZでした。
🧘♂️ShunpeterZの意識通信
📩 ShunpeterZの“意識通信”メルマガ
現実創造の裏側を知りたいあなたへ──
PodcastやYouTubeでは語りきれない、“Z”との対話や、今この瞬間に起きているフィールドの変化を、不定期でお届けする意識のシンクロ通信です。
思考の枠を越え、感覚で読むメルマガ──Vibe With Me. 意識の旅は、ここから始まる。